呼子丸の歴史
昭和34年
(1959年)

木造船「だいふく」として、福羅船渠造船所(現・渡邊氏宅)にて建造。
岡山県笠岡市北木島 金風呂港(きたぎしま かなぶろこう)を母港に、笠岡港との間を定期貨客船として就航。
 

昭和48年
(1973年)

「三高丸」と改名。
能美島三高港(のうみしま みたかこう)を母港に広島県広島市宇品港及び本川間を定期貨客船として就航。
 

平成3年
(1992年)
「三高丸」、定期貨客船を引退
 

平成6年12月
(1995年)

大林宣彦監督作品『あした』に使用(出演)する船を見つけるため、存在自体が珍しい木造船の在りかを尾道大林組のスタッフが調査、やっとの思いで廃船となっていた三高丸に行きつき、船主に何度となく撮影協力を申し出て譲り受けることとなる。
物語の設定に合わせて「呼子丸」と改名。
 
平成7年1月
(1996年)

大林宣彦監督作品『あした』の撮影に使用(出演)
その後、尾道市が広島県御調郡向島町兼吉の海上に民俗資料ならびに映画の美術資料として展示。
 

平成12年9月
(2000年)

老朽化が原因で展示の役割を終える。調査の結果 、修復不可能との判断で廃棄処分。
 

 


渡邊氏近影


「だいふく」建造当時、
舟形を描く渡邊氏

船大工 渡邊 忠一氏
昭和7年(1932)9月4日生

18才の時、福羅船渠造船所で船大工となる。
「だいふく」建造当時、船大工の一人として参加。
その後、福羅家の長女と結婚され、現在に至る。

当時、木造船には細かな設計図などは無く渡邊さんが描いた舟形の図面 だけを基に、職人たちの技術で造り上げたそうだ。当時は『経験工学』と言われる知識と工夫で職人たちが木造船を作っていた時代。「船体の7割が水の中にあるように吃水を深くし、横に傾いても復元力が強くて、絶対にひっくり返ることはない。速くは走れないが、安定した船でした」と振り返る。


「だいふく」進水式の様子


「だいふく」建造作業中の渡邊氏

「当時14〜5人で完成までに半年ぐらい掛かったはず。全て手仕事で、当時は皆んな職人だったから、『ああだろうか、こうだろうか』と協議しながら造っていきました。『だいふく』は最新型で、真っ白な綺麗な船でした」と、今も大切に保管している進水式の様子、舟形を描く若かりし頃の自分のモノクロ写 真を手に語る。
「50馬力ぐらいの焼き玉エンジン、優秀な船でしたね。進水式の時は、船体を派手に飾りました」。

呼子丸1/8再建計画
=呼子丸 1/8再建おのみち実行委員会=